姿月あさと(しづき・あさと)
姿月あさと
大阪府出身。宝塚音楽学校を卒業後、1987年、雪組公演「宝塚をどり讃歌」で舞台デビュー。花組、月組を経て、数々の賞を受賞。‘98年、65年ぶりに誕生した新組「宙組」の初代トップスターに抜擢される。2000年退団後、ソロシンガーとして活動をスタート。コンサートツアーのみならず、フルオーケストラとのジョイントコンサート、ミュージカル、ディナーショー、TV、CM出演、アルバムのリリースなど幅広く活躍中。ソロシンガーとして活躍中。
公式サイト http://www.shizukiasato.net/

姿月あさと『優しいバリ 私が「わたし」に返る島』スペシャルインタビュー
3年半暮らしたバリ。人の心をとらえて離さないバリの魅力を、どうしても伝えたい
バリが“素の自分”をかえしてくれた
ゆったりとした時間が流れるバリに、訪れてみてはいかがですか?

優しいバリ 私が「わたし」に返る島 優しいバリ 私が「わたし」に返る島
姿月あさと・著
集英社・刊
定価:780円
ISBN:4-08-650077-9
好評発売中!


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姿月あさと スペシャルインタビュー
優しいバリ 私が「わたし」に返る島
VOL2 バリが“素の自分”をかえしてくれた
4年前の退団公演は、もはや伝説です。何せ、前売りチケットを求めて並んだ人、1万数千人。この数字は宝塚始まって以来の数字でした。それほどまで、ファンに惜しまれた大スター。しかし、スターという立場はまた、姿月さん自身が「姿月あさと」から離れられない、ということでもありました。

「でも、バリ島で私は“素の自分”にかえれたような気がするんですね。学生時代以来の“素顔の友達”がたくさんできたのも、バリ生活の収穫です」

――バリ島では、私は本名の「順子さん」とか赤坂さんと呼ばれます。あっ、私って順子なんだと新鮮な気がしました。あのまま日本にいたら、私のほうもついかまえたりして、こんなにいい友達はできなかったと思います(『優しいバリ 私が「わたし」に返る島』より)――

「主人に『ねえ、ねえ、友達が出来たよ!』と報告したのは、アスリコレクションという雑貨屋さんを経営する磯兼さんという女性が最初です。本にも書きましたが、私は初め、普通のお客さんでした。でも、彼女と日本語で話せるのが嬉しかったし、ご主人のカトさん、責任者のマルさんなども、私のつたないインドネシア語につきあってくださるので、よく寄るようになって」

そんなふうに、徐々に友達が出来てきて、バリ生活も一年を過ぎた頃、ぐっとその数が増えたのだそう。

「日本人コミュニティの中には、宝塚時代の話や、現在のお仕事の話をを聞いてくる方がいます。そうすると、つい、私はかまえちゃう。でも、“姿月あさと”の話を全く聞いてこない人たちがいて、それが本当にリラックスできたんですね。“素の自分”を受け入れてくれる人たちがやっと出来た!と思いました。」

グランド・ハイアット・ホテルの日本料理レストラン「南風」の須藤シェフ夫妻、ガムラン奏者のスエントラ氏と和子夫人、日本料理店「お茶の間」のマダム、利子さん・・・・などなど、日本にいたら絶対に知り合えなかった知人・友人たちとの交流は、姿月さんの心をやわらかくしてくれたよう。

「話すことはね、ホント、単なる世間話なんですよ(笑)。料理の話や日本の雑誌を回し読みして得た情報で盛り上がったり、ちょっと体の調子が悪いのよーとか言い合ったり(笑)。普通の女性が当たり前に交わす会話です」

クールでキリっとした表情の姿月さんが、友達の話になったとたん、やさしいふんわりした表情になったのが印象的でした。

「日本では、仕事に関連したステキな出会いがたくさんあります。でも、素顔の友達というのは、やはりできにくいんですね。だって、誰かと出会う時、私は“姿月あさと”として出会うわけですから。バリで久しぶりにできた、素顔で話せる友達たち。今、私は夫の次の赴任先、ケアンズに住む場所を移しましたが、これからも皆との友情を大切にしたいなあ、と思っています」

インタビュー/中沢明子
バリ撮影/増島 実

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