

恋がもたらす様々な感情をつぶさに描いた恋愛短編集『このベッドのうえ』。甘やかな幸福感もほろ苦い切なさも、息の詰まるような恍惚も何もかもを見失いそうな恐怖も、全てが恋をする気持ちそのものなのだと気づかされる。
この本の中では、男性も女性も、老いも若きも、どのような形であれ皆、恋をしている。だからだろうか、一編読むごとに、恋をしたくなるのは。恋をしている気持ちになるのは……。
「マリーゴールド」には、73歳の女性が登場します。かなり歳を重ねた淑女ですが、他のお話に出てくる二十代の女の子と同じくらい魅力的に感じられます。女性が歳を重ねる事に関して、野中さんはどう思われますか?
「少女のような、おばあちゃまって大好きです。少女そのものより、ずっとチャーミングだと思います。さまざまな経験をして、つらいことや悲しいことも乗り越え、それでもなお少女のような無垢な雰囲気を身にまとっていられるとしたら、素晴らしいことですよね」
一方、男性はいつまでたっても少年のようなところがありますよね。この短編集には男性が主人公のお話もありますが、男性を書くときに意識していらっしゃることはありますか? 男性から見た女性というのもまた、描き方が変わってくるかと思いますが……。
「もし私が男だったら、どんな女のひとに心惹かれるだろう……そう問いかけながら、男性が主人公の作品を書きます。一筋縄ではいかない、魅力的な女性に恋をする男のひとを描くのが好きです」
テーマと言ってしまっていいかはわかりませんが、現在進行形ではないにしろ二人プラス一人、つまり、見ようによっては三角関係のような恋愛が描かれているお話が多いですね。その、はっきりしない関係性というのが、男女二人が向き合った恋愛よりもリアルに感じて面白かったです。
「一対一の恋愛をしている男女でも、心のどこかで、もうひとりのだれかを想っていることって往々にしてあるんじゃないでしょうか。それゆえに、一対一の男女の関係が揺さぶられたり、また逆に、安定したり……その微妙な感じを描きたいと思いました」
ただ幸せなだけの恋愛は一つもないように思いました。何か忘れられない痛みの記憶を持っていたり、この恋はもうこれ以上続かない、と悟っている切なさがあったり……。自分も現実に経験し得る恋、あるいは今もすぐ近くで起こっている恋のようで、人物たちの気持ちにシンクロしていくような感覚で読めました。
「悲しみや痛み、淋しさを感じずに済む恋愛は存在しない。それこそが人生なのだ、とも思います。さらさらと流れるような、やわらかな文章で、それを表現したいですね」
相手が自分を好きだということ、明日も一緒にいるということ、「この気持ち」が恋であること……。恋の、残酷なまでの「不確かさ」が描かれている一方で、今この瞬間恋をしているという「確かさ」も強く伝わってきました。恋愛にはこのようなアンビヴァレンスな面が必ずありますよね。
「そうですね。そのアンビヴァレンスな感じが、恋愛の特質のひとつなのではないかしら? でも、考えてみれば、そもそも生きているということ自体が、“確か”であると同時に、“不確か”でもある。だからこそ、人生にも、恋にも息を呑むほど美しい瞬間があるのでしょう。
恋をしたり仕事をしたり、あるいは特には何も起こらないかもしれない日常を、それでも一生懸命生きている、生活している読者にとって、恋愛小説は一種のビタミン剤のようなものかもしれませんね。野中さんは読者に何を届けたいと思いますか。『このベッドのうえ』は、読者にとってどんな一冊であってほしいですか。
「一日の終わりに、ベッドの中で、一行一行、楽しんでいただけたら、嬉しいです。たとえば、なにか悩みがあって眠れない夜、もしくは疲れた心をほぐしたいと感じているときになどに。そして、この本に描かれているシーンや科白が、読者の皆さんの日々の暮らしの中で、ふと鮮やかによみがえる瞬間があったら、私としては、これ以上の幸せはありません」
気軽にさらさらと読めて、しかし同時に、心の奥深くのやわらかい部分に確かな何かを残していく八編の物語。疲れた心と身体をそっと休め、慰める大切な時間に、ほんとうにぴったりの本かもしれない。“ベッドのうえ”は現実と幻想の狭間を行ったり来たりして、幸福なめまいを堪能できる時間なのだから……。
撮影/藤田交泰