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渡辺淳一 孤舟(こしゅう)
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 小西君に結婚するといわれて、急に会話が途切れたせいか、食事だけすすんで、テーブルの上には、食後のデザートのマンゴーのババロアとコーヒーが並んでいる。
 これを食べて飲み終ると、小西君と別れねばならなくなる。そして彼女とは、もう会うこともなくなるかもしれない。
 そう思うと威一郎はやりきれなくなり、思いきって誘ってみる。
「あのう、向こうにバーがあるんだけど、少し寄っていかない?」
 小西君はかすかに振り返り、ゆっくりうなずく。
 バーはレストランの出口の左手にあり、一段高くなった半円形のラウンジを取り囲むようにカウンターが並んでいる。
 まだ九時前で客は誰もいないが、そのカウンターの中程に二人並んで座り、小西君はカルアミルクを、威一郎は強いのを飲みたくて、ブランデーのストレートを頼む。
「昼間だと、この先に富士山が見えるらしいけど、バーは夜しか来ないからね」
 気持ちが落着かぬままそんなことをいうと、小西君がかすかに笑う。
 どうやら、結婚することを報告して、少し気が楽になったようである。
「彼氏は、なにをしているの?」
「サラリーマンです」
「いくつ?」
「三十です」
「そうか、若いねえ……」
 自分の半分以下である。そんな男に、定年を過ぎた男が勝てるわけがない。いや、勝ったとか負けたとか、考えること自体が間違っている。
 威一郎はブランデーを一気に飲み干して、いってみる。
「もう、このまま会えないのかなあ」
「いえ、会えますよ」
「じゃあ、まだクラブに出ているの?」
「もちろん、あそこは辞めます。でも、大谷さんから、連絡をいただければ」
「本当?」
 信じられずに顔を見ると、小西君が笑顔でうなずく。
「じゃあ、食事も?」
「はい、都合がつけばですが」
「デート代は払うよ」
「それはやめてください。もう、辞めたのですから」
「でも、今日の分は……」
「それもいりません。本当にいつも素敵なところに連れて行っていただいて、ありがとうございました」
 小西君が深々と頭を下げるのを見ていると、威一郎も礼をいいたくなる。
「こちらも家まで来てもらって、掃除をしたり、ご飯までつくってくれて、本当にありがとう」
「わたしこそ、ご自宅まで押しかけて行って、ごめんなさい」
「冗談じゃない、本当に感謝している」
 威一郎はまたブランデーを飲み、少し間をおいてから、いってみる。
「でも、よく、俺のような爺さんに、際き合ってくれたね」
「そんな、お爺さんなんて、大谷さんはお若くて、とっても素敵ですよ」
「そんなことはない。そんなことがあるわけがない」
 突然、なにかすべてを吐き出したい誘惑に駆られて、威一郎は思いきっていってみる。
「俺、本当は嘘をついていたんだよ。本当は、大手の会社の役員なんかじゃなかった……」
 驚くかと思ったが、小西君はゆっくりとうなずいて、
「わかっていました」
「わかってた?」
「はい、本当はお辞めになっているんだと」
 信じられずに小西君の顔を見詰めると、彼女はかすかな微笑を浮かべて、
「大手の広告会社に勤めていらっしゃる、というので、ネットで調べてみたら、お名前がなくて。会社にきいてみたら、二年前にお辞めになったと」
 たしかにそのとおり、調べる気になれば簡単にわかることなのに、なんたる間抜けだったかと、頭に手を当てると、
「お仕事の話も、ほとんどなさらないし、お会いするお時間も正確なので……」
 たしかに、現役だったら、あんなに正確に会うことはできなかったし、もっと仕事のことについても話したかもしれない。
 むろん自分がどれくらい偉くて、どんな権力をもっているか、話したくなったに違いない。
「そうか……」
 そこまで見抜かれていたとは、正直、思ってもいなかった。
「つまらなかった、でしょう」
「どうしてですか?」
「ただの、定年になった爺さんが、勝手なことをいって……」
「いいえ、とても勉強になりました」
「勉強?」
 信じられず聞き返すと、小西君がゆっくりとうなずく。
「なんでもご存知で、それに、こんなこといっても、いいですか」
「なんでも、いってくれ」
「なにか可愛くて、チャーミングで……」
「可愛い?」
「優しくて、ぜんぜん偉ぶらないで」
「だって、威張るところがないんだ」
「それで、いいじゃありませんか」
「いいの?」
「はい」
 きっぱりうなずく小西君に向けて、威一郎は思わずグラスを突き出し、彼女のグラスとカチンと合わせる。
「ありがとう」
 一気に飲み干すと、つられたように小西君も飲み干してグラスを置く。
「わたし、偉そうな、威張った人は嫌いなんです」
「……」
「ああいうところに来る人は、地位やお金のある人が多いので、自慢話ばかりでうんざりしていたのです。そのなかでは、大谷さんはとても優しくて、正直で……」
「正直?」
「お家に伺ったときも、奥さまがいらっしゃらないのに、頑張られて」
 そこまで見抜かれていたのかと、頭を下げると、「ワンちゃんも一緒で楽しかったわ」
「ありがとう」
 今は威一郎も素直に、小西君のいうことにうなずくことができる。
「じゃあ、このままでいいのかな」
「もちろんです。今の大谷さんが、本当の大谷さんでしょう」
 そういわれたら、そうなのかもしれない。会社を辞めて地位も役職もすべて失い、ただの大谷威一郎になってしまった。そのことに不満を抱き続けてきたが、それが今の自分であることに間違いない。
「自信もなにもない、こんな爺さんで……」
「でも、優しくてチャーミングです」
 はたしてそうなのか、自分ではよくわからないが、彼女がそこまでいってくれるのだから、本当なのかもしれない。
「よかった、今、いわれて、少し自信がでてきたよ」
「頑張ってください」
「君もね」
「はい、頑張ります」
 小西君がちらと時計を見たので、威一郎は腰を浮かしてきいてみる。
「じゃあ、帰る?」
「はい、よろしいですか」
「もちろん」
 今夜は仕事ではないので、これ以上、拘束する権利はない。
「今日も、ご馳走になって、よろしいのですか」
「もちろんだよ」
 小西君はうなずき、改めて威一郎を見る。
「君のおかげで、元気になれた」
「わたしもです」
「また会えるかな」
「はい、携帯に連絡してください」
 なにか急に、小西君がすべてを包みこんでくれる年上の女のように見える。
「ありがとう」
 いま一度、礼をいい、小西君に手を差し出すと、彼女も握り返してくれる。
 その柔らかくあたたかい手の感触をたしかめながら、威一郎はなぜともなく、
「よし、このまま生きていくぞ」と、自らにつぶやいた。


(了)

*マリソル オンラインへの小説掲載は、雑誌発売日の1週間後です。
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BAR 孤舟
「孤舟」連載完結を記念して
第1回孤舟杯スタート前に
ラウンド終了後の表彰式。
先生は惜しくも第3位
なんと優勝は、わたくしでありました
集英社出版四賞のパーティ会場にて
社長と談笑する先生
 さようなら威一郎さん
(最終回スペシャル)

 ひと月のご無沙汰でございます。
 つい先月はじまったばかりのような気がしますが、「孤舟」の連載も今月で16回目となります。そして、とうとう最終回を迎えました。
 最後までご愛読いただき、ありがとうございました。
 
 なんと小西くんは結婚することになりました。まあ、27歳という年齢を考えれば当然の成り行きなのかもしれません。これからは、デートクラブを通さずに都合がつけば逢ってくれるというではないですか。定年退職して、会社や役職といった肩書きを失った威一郎という存在を、年上の女性のように、すべてやさしく包みこんで去っていこうとする。誰だか知りませんが、相手の男性が妙に羨ましく思えるわたくしでありました。
 そんな小西くんに、「よし、このまま生きていくぞ」と自らにつぶやいた威一郎さん。渋谷の高層ビルの40階、二人にとって想い出のレストランからの眺望は、きっとやさしげな夜のとばりに包まれいたことでしょう。やわらかなハッピーエンドが訪れて、正直、威一郎さんにとって良かったなぁ、としみじみしてしまいました。

 さてさて、師走に先んじて先月も渡辺先生は東奔西走。多忙な日々を送られておりました。
 11月初旬には、このコーナーで以前にご紹介した〈女優杯〉から名前を改めた〈孤舟杯〉。記念すべき第1回のゴルフコンペが、泊まりがけで伊豆の川奈ホテルにて催されました。記念すべき第1回、渡辺先生に優勝してほしいなぁ、と思いつつ優勝トロフィーを作って持っていったのですが、なんとわたくし、自分で持って帰ってくることになってしまいました。わたくしが優勝してしまったのです。トホホ。

 翌週は、集英社の主催する出版四賞のパーティがありました。
 本年度の柴田錬三郎賞を受賞されました村山由佳さんの2次会にも顔を出され、お祝いのスピーチをされました。
 最終回スペシャルですので、写真はいつもよりたくさんアップしようと思っております。
村山由佳さんの2次会で
お祝いのスピーチ
ヤブの会のメンバーと
銀座・並木通りのツリーの前で
南紀白浜空港。
これから熊野詣でに向かわれる先生
渡辺先生、熊野古道を行くの図
深い森を縫ってつづく熊野古道 熊野詣での途中のおみやげ屋さんで
編み笠をかぶって
 連載小説やエッセイの執筆、単行本の手入れとお忙しいなか、あるときは担当編集者たちと銀座の夜をそぞろ歩いたり……。並木通りのクリスマスツリーの前で、ヤブの会の編集者とのスナップもアップしました。

 下旬、渡辺先生は熊野、京都へと取材旅行に出かけられました。
「天上紅蓮」、白河法皇と璋子の熊野詣での足跡を訪ねての旅であります。
 朝、羽田を発って空路、南紀白浜へ。そこから文藝春秋の〈チーム天上紅蓮〉の方々が用意したワゴンハイヤーにて熊野古道、熊野本宮大社、那智大社、那智大滝などを巡って、紀伊勝浦駅から京都へ電車で移動するという行程でした。電車移動は延べ4時間におよび、さすがに京の都と熊野の隔たりを感じさせられます。いにしえの都人もかくあらん、いやいや、さぞやと思われる遠さでありました。
 翌日は、京都の「天上紅蓮」ゆかりの地をまわられました。
 途中立ち寄った、西山三山では紅葉がちょうど見ごろに近づいており、とてもきれいでありました。その一つ、光明寺は特におすすめのスポットです。
 紅葉に包まれた参道を歩きながら、わたくしは、威一郎さんが果たせなかった京都旅行に思いを馳せておりました。威一郎さんと小西くんの代わりに、担当のわたくしが西山三山の紅葉は見ておきましたので、お二人は、それぞれの明日を自分らしく生きていってくださいね。
 その翌日、先生は、京都から広島へと向かう新幹線に乗り込まれて、講演会に出かけられました。
 まことにお忙しい毎日でありました。

 渡辺先生、「孤舟」の連載、お疲れさまでした。ありがとうございました。一つ、連載は終わりましたが、先生、お身体にはご自愛くださいませ。
「孤舟」は、先生に手を入れていただき、来年初夏までには単行本となる予定です。
 どうぞ皆さま、お楽しみに!
熊野本宮で見つけた八咫烏
(やたがらす)の郵便ポストと記念撮影
先生は何を祈られたのか?
間近で見ると迫力満点の那智大滝
先生のうしろに見えますのが
那智の大滝でございます
那智大社の門の下で うしろは那智大社の隣、青岸渡寺
光明寺の石段を下る先生と
チーム天上紅蓮の方々
光明寺の紅葉は
これから盛りというところ
光明寺の門前で 行きつけのふぐ割烹「向島大漁」にて
 当BAR孤舟のチーフ・バーテンダー、ひろしがお送りしました。当店も、今宵をもちまして閉店させていただく運びとなりました。
 それでは、また来月のご来店を心からお持ちしております、と申しあげられないのが残念です。連載小説をお読みなったあと、いつも当BAR孤舟もご贔屓にしていただきまして、心よりお礼申しあげます。
 ありがとうございました。
大漁の大将の割烹着には
「孤舟 渡辺淳一」のサイン
酒井信義展
「孤舟」の挿画を描かれた酒井信義さんの個展のご案内です。

東京展
2009年12月9日(水)→15日(火)
高島屋東京店6階美術画廊
大阪展
2009年12月23日(水・祝)→29日(火)
高島屋大阪店6階美術画廊
名古屋展
2010年1月6日(水)→12日(火)
ジェイアール名古屋高島屋10階美術画廊
横浜展
2010年1月20日(水)→26日(火)
高島屋横浜店7階美術画廊
新宿展
2010年2月3日(水)→9日(火)
高島屋新宿店10階美術画廊
京都展
2010年2月24日(水)→3月2日(火)
高島屋京都店6階美術画廊


※各会場とも最終日は午後4時にて閉場になります。
※ギャラリートークが12月23日(水・祝)午後2時から催されます。
※お問い合わせは、高島屋美術部(TEL03−3246−4645)までお願いいたします。
「孤舟」の感想をお寄せください。
 著者初の「雑誌」×「ネット」×「携帯」のクロスメディア小説「孤舟」の感想、渡辺淳一先生へのメッセージをお寄せください。いただいたコメントは、一部編集のうえ、このマリソル オンラインに掲載させていただく場合があります。あらかじめご了承ください。
「孤舟」へのご感想はこちらから
渡辺淳一 楽屋日記
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