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城戸崎 愛(きどさき あい)
1925年神戸生まれ。東京家政学院卒。結婚後、東京會舘クッキングスクールや、夫の赴任で滞在したパリで通ったル・コルドン・ブルーで料理を学ぶ。帰国後、料理研究家として活動をスタート。NHK「きょうの料理」出演や雑誌の料理ページなどで、おいしく心温まる料理やお菓子を紹介しつづけている。著書に『ノンノお菓子Perfectノート』『もう
せん切りイヤになっちゃった』(ともに集英社)『城戸崎愛の料理のきほんミニ事典』(日本放送出版協会)など、多数。
上の写真は、昭和19年に撮影した東京家政学院の卒業写真。 |
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城戸崎 愛/
由井りょう子 著
集英社 刊
定価:680円
ISBN:4-08-650070-1
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| 戦争はイヤだ! あんな悲しい思いはもう二度とごめんだ! 雑誌やテレビでおなじみの「ラブおばさん」が、戦争とともに過ごさなければならなかった10代を振り返りながら、「命の尊さ」を伝えたいと、熱い思いで書き上げた一冊。 |
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料理研究家・城戸崎愛さんの最新エッセイ『戦火とドーナツと愛』は、城戸崎さんの戦争経験が中心になった一冊だ。物資が不足する中での生活の工夫など、「ひとりの女性が戦争中でもめげずにけなげに生きた」記録のほかに、大事な核のひとつとして、ある男性の出征と戦死が描かれている。
「私の母のいとこである石丈夫(いし・ますお)さんは、昭和20(1945)年5月4日に沖縄で戦死しました。昭和18年10月21日、神宮外苑競技場(今の国立競技場)で開催された『出陣学徒壮行会』で、丈夫さんは東京帝国大学法学部の学生として行進し、私は見送る側として東京家政学院の友人たちとともに観覧席にいました。立ったまま、雨に濡れながら。
『戦火とドーナツと愛』の仕事をはじめた頃、偶然なんですが、丈夫さんの日記をまとめた本をお姉さまたちが自費出版でお出しになって、私の名前が書かれているからと、手元に送ってくださいました。本当に驚いたんですけれど、丈夫さんは、私に密かな思いをよせてくれていたそうなのです。まわりの人たちは何となく知っていたようなのですが、私は全然気づいてなくって……」
城戸崎さんと最後に会った日の翌日の、石さんの日記から。 |
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学校の遠足で筑波神社に行って買い求めたお守り。これを「出征する、親戚の丈夫さん」に渡しただけだったのに、受け取った石さんの気持ちには、誰にも告げることのない、熱いものがあった──。57年ぶりにこのことを知った城戸崎さんは、インターネットで資料を集め、沖縄戦史の研究家がいると聞けば連絡をとり、ことのほか熱心に石さんの足跡をたどろうとした。『戦火とドーナツと愛』の共著者、由井りょう子さんは、この頃の城戸崎さんを「思いきりのいい日ごろの性格とは別人のように、執拗だった」と表現しているほど。
「死にたくて死んだんじゃないってことがわかるからこそ、その最期を知りたかったんです。本にも載せましたけれど、沖縄に渡る直前、丈夫さんがお父様に宛てて書いた最後の手紙は、きれいな字で書かれているけれども、内容のつじつまが合ってなくて、余計にその動揺が伝わってくるのです。そして、もし丈夫さんが生きて帰ってきていたら、私の人生も変わっていたかもしれないのだから」
こうして終焉(しゅうえん)の地が判明した石丈夫さんのほかにも、多くの「心ならずも死んでいった」人たちの姿が、この本にはある。城戸崎さんの兄の友人で、テニアンで戦死した大矢正夫さん、友人の知人で、特攻隊員として沖縄・嘉手納湾に消えた上原良司さん、当時の城戸崎さんと同じ年頃で命を落とした沖縄・ひめゆりの少女たち、広島で被爆した一般市民。
日本人だけではない。ハワイ・パールハーバーで、日本軍に攻撃されて沈没した戦艦アリゾナの中に今も眠る、アメリカの軍人たち……。
「こういう、名もない人々たちの存在を、書き残して、とどめておきたかったんです。それが、今、生きている私の責任というか……。戦争なんて行きたくて行ったんじゃない人がほとんど。だけど、戦争反対なんて、とても口に出せる世の中じゃなかったから、何とか自分を納得させて死んでいった。その気持ちは、残さなければいずれ歴史の中に消えてしまいます。なくなった彼らの思いを本という形で残せたことが、少しでもご供養になったらいいんですけど。
そして、生きたかったけれど生きることができずに死んでしまった人たちの存在を残すことで、やっぱり最初の話に戻りますけど、戦争の悲惨さ、命の大切さをわかってもらいたい。若い皆さんも、目をそむけないで、日本が歩いてきた歴史に、きちんと冷静に向き合ってほしい、そう思います」
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インタビュー・文/s-woman.net編集部 |
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