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| 楽屋で原稿をチェックする勘九郎 |
中村 勘九郎(なかむら・かんくろう)

昭和30年5月30日生まれ。十七代目中村勘三郎の長男。34年4月歌舞伎座『昔噺桃太郎』の桃太郎で五代目中村勘九郎の名で初舞台。平成元年度芸術祭賞、都民文化栄誉章。2年と10年に眞山青果賞大賞二度の受賞。6年第二回読売演劇大賞最優秀男優賞。10年度日本芸術院賞。13年第二十三回松尾芸能大賞、第三十九回ゴールデンアロー賞演劇部門。14年第一回朝日舞台芸術賞。16年第五十二回菊池寛賞ほか多数。 |
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中村勘九郎・著
集英社・刊
定価:1890円(税込)
ISBN:4-08-775327-1 |
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「演劇は戦いなんだ! 勘三郎を襲名しても、夢に向かって走り続ける!」
大好評の平成中村座ニューヨーク公演の模様を詳しく紹介。勘九郎が半世紀を顧み、飾りのない素顔をのぞかせる「日付入り」半世紀! |
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中村勘九郎・著
集英社・刊
定価:550円(税込)
ISBN:4-08-748572-2 |
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今月集英社から発売された私の日記は、これまでの半生を振り返って、あまり知られていないことを中心に書いたから、かなりおもしろく読んでもらえるはずだよ。
たとえば、私が生まれた時のことを人から聞いて書いた「私が生まれた日」なんて、自分で書きながら傑作だと思ったもの。だってさ、私が生まれたっていうのに、親父はどうせまた女の子だろうと思って、新富町の「松島」というところで、ふて寝をしてたんだっていうんだから。いくらなんでも、ふて寝はひどくない?
私の場合は、勘太郎が生まれた時は『助六』で花魁の役の稽古をしていて、気が気じゃなかったし、七之助の誕生の時は、名古屋で好江の同じような激しい陣痛に苦しんだんだから、このことも「勘太郎が生まれた日」「七之助が生まれた日」で書いたけど。
それにさ、私を取り上げた看護婦さんもひどい勘違いをしていてさ、「また、ですよ」なんていうもんだから、みんな「また女か」って思ったみたい。ほら、上は女の子ばかりだったから。
看護婦さんは私の家は「男ばかり」だと思っていたんで、「また、ですよ」なんて言っちゃったんだろうけど、差別をしているわけじゃないんだろうけど、歌舞伎役者の家では男の子か女の子かは、喜び方もちがうからね。
それで、もっとおもしろいのは、初舞台の時の私の名前がなかなか決まらなかったんだって。勘九郎は、苦労に通じるからやめておいた方がいいということで、一番有力だったのが、新発意。シンポチって読むんだけど、家の狂言に『新発意太鼓』っていうのがあって、それにあやかって親父はつけたかったみたい。中村新発意。
やだねえ、小学校にあがって「勘九郎ちゃん」ならいいけど、「シンポチちゃん、遊ぼうよ」なんて皆に呼ばれたら。なかには「シンポチ、こっち、ポチ、こっち、はい、お手、シンポチ、ちんちん」なんて、犬だよ、これじゃ。
そのほか、私が好江に結婚を申し込みに行った日のこととか、浮気がばれそうになったこととか、結構、恥ずかしいことも満載だ。勘三郎襲名を来年に控えて、勘九郎時代を一冊にしたこの本、未公開秘蔵写真もたくさん入れた。ぜひ読んでみて。笑えるよ。
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第52回菊池寛賞 受賞 おめでとうございます!
中村勘九郎さんが、「コクーン歌舞伎」「野田版研辰の討たれ」「平成中村座」など歌舞伎の新たな可能性を探る様々な試みを成功させ、この七月にはニューヨークで「平成中村座」の「夏祭浪花鑑」を公演し高い評価を受けるなど、歌舞伎の魅力を世界に広げた功績により、第52回菊池寛賞
受賞されました。 |
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